「聞くこと」をどのように見取ることができるか
公開日: 2020年9月21日月曜日
『聞くこと』や『読むこと』について,,人の思考処理を見ることはとても難しいことです。
よく「子どもの頭の中を覗くことができたら・・・」なんて,子どもたちの思いや考えの過程を知りたくて,同僚と話すのですが,それは子どもに限りませんよね。
これは,別の学校で中学年を担任されている先生のお話で興味深かったのですが,
日本に来たばかりのALTの先生の話す英語がなかなか理解できなくて,
「んん?」
となることがある。
「担任としては,子どもの「んん?」を,一緒に "What is ___?" とか "Excuse me? One more time, please."なんて言いながら,表に出していくことが大事だと思っているんですよねえ。」
そうお話しくださった。
「んん?」
となる子どもは,相手の話を分かろうと,聞いているはずです。そうでなければ,「んん?」とはならないでしょう。分からない!なんだ?という子どもの反応は,「分かろうとしている」ことを表しているはずです。
ある日,ALTが発音した, "Dream-time" が "Green-time" に聞こえたらしく,聞いていた子どもが,"Green-time?" 「え,緑の時間??? なんだそれ?」という反応を見せたのだそう。
Dream-time と Green-time
人は言葉を学ぶとき,無意識に,外国語の語と,自分が知っている母語の語とを結び付けている(今井むつみ氏:慶應義塾大学の対談記事より)と言われますが,自分の知っている語とうまくリンクされなかった場合,音から自分の知っている語に置き換えて推測するようなこともよく行います。
(December → いっせんまん?(前田陽子先生のエピソードより))
子どものこのような発言からも,子どもの(聞こえた英語の音声を,自分の知っている,かつ似ている語彙と結び付けて,意味を照らしてみる)という思考を垣間見ることができます。
このとき,担任の先生は,子どもの "Green-time"を否定することなく,おもしろがりながら,「たしかに,そんな風に聞こえるなあ」とおおらかに受け止めながら,「でも,なんだか,へんだよなあ」と子どもとにこにこ笑ったのだそうです。
このような,教師が子どもの,今,ここで起きている,発せられた言葉や反応に,寄り添いながら,「文脈を確認する」ようなやりとりを経て,子どもは「聞こえた言葉」が,話の文脈や題材に合っているか確かめることの大切さに気付いたり,他の情報と関連付けて確かにそうだ,と自分の考えた意味合いを確かなものにすることを学ぶのかなあ,と考えます。
思考・判断・表現を見取るためには,普段の授業の中で,子どもの些細に思える言葉を,教師が大切にキャッチしながら,それを吟味するおもしろさや大切さを共有する営みが欠かせないのかもしれません。
そうすることで,子どもは,「今聞いた英語で,どうしてこれを選んだかというとね,,,」と自分の思考に自覚的に語ることができるようになるのではないか。
何らかの形で,表に出てくるものしか,教師は見取れない。
子どもの言葉,反応,表情,振り返りシートの記述。
だからこそ,日々の授業の中で,子どもが発信している,表現していることに,丁寧に気付くことができるようにと,そんなことを考えています。
みなさんは,子どもの「聞くこと」の力,どのように見取っておられますか。
TAKATA, Misato
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