外国語教育で使われる「素地」と「基礎」のイメージ(上天草での研修より)

公開日: 2018年8月8日水曜日

8月3日は熊本県の上天草市の先生方と一緒に外国語教育について学ぶ機会をいただきました。

3部構成で行い、
最初は「どうして外国語によるコミュニケーションを学ぶの?」っていう根っこの部分を考えました。正直、日常では使わないよね。なのにどうして?
・外国の人とかかわる機会は確実に増えていくと思う。
・将来、外国の企業との交渉や協力など、必要になってくるからではないか。
・言葉だけじゃなくて、文化を知るっていうことが大切になる。
・相手や他者の文化を知るだけでなく、自分の文化を知ることにつながるから。

本当はもっともっと掘り下げたいところなのですが、先生方のお話を聴きながら、これからの社会の変化(もうすでに大きく動き始めている人や情報のネットワーク)、経済的な視点から色々な国や文化とのかかわりが増えること、言語コミュニケーションを学ぶことは文化を知ることにつながること、そしてそれは、自分の生活や文化、自分自身を知ることにつながるから意味があるのでは。 ということを考えました。

新しい指導要領については、概要をみんなで確認したのですが、中学校や高等学校の外国語の目標も一覧できるように添付しました。

参加者の先生から
その目標に書いてある「素地」と「基礎」のちがいって、どんな風に考えればいいんでしょうか。
という質問をいただきました。

みんなで考えることにしました。

そうすると、

水泳の授業で考えると、子どもたちがまず水に入れる、それが素地かなあ。
そして、その後、浮くことができる。少し進める、そんなことが基礎かなあ。

という意見や

外国語をつかってコミュニケーションを図るって、たのしいなあ、きもちいいなと思える、そんなことが素地かなあ。
基礎は、聞き覚えのある表現を使ってみようとするとか、使えるようになった表現で、やりとりをしてみる、という感じでしょうか。

このような意見を発表いただき、みんなでふむふむ、と聴きました。

素地はこういうもので、基礎はそういうもの!
と、だれかの考えを聴くだけではなくて、こういうものかなあ、だってさ・・・と考えたり語り合ったりしていく内に、自分の今とらえていることをわたしたち自身も自覚する機会になりました。

そしてなにより、先生方の例えが秀逸だなあと思うのです。

水に入ることができる、ということは、
恐れない、緊張がほぐれた状態。
そのために、お家でのお風呂で顔に水をつける経験をもっておくとか、
ホースなどを使って水遊びを十分に行っておくとか
そんなアイディアが語られました。

怖くない、安心だな。
そんな思いや構えをもっているのを
「素地」ってとらえるとよいのかもしれません。

外国語によるコミュニケーションと置き換えると、
いろんな人とかかわるって、どきどきするけど楽しいな、大丈夫!とか
まちがったかなと思ったけど、なんだか伝わったぞ!
もうちょっと伝えられるようになってみたいな。
お友だちの使っていることば、分かんなかったなあ。
言葉をもっと知っていきたい!お友だちのこと分かるって、うれしいな。

こんなことが外国語によるコミュニケーションの学びの素地になるのかな、わたしにとっては結構すっきりと腑に落ちた、先生方とのディスカッションでした。

基礎はそれに乗っかって、正確さに目を向けて使おう、聞こうとすることや
相手や目的に応じて表現を自分の知識から引っ張り出して使ってみるとか、
技能の部分も徐々に加わってくるイメージでしょうか。

上天草はわたしにとって、子どもたちとのかかわり方が大きく変わった、大切な出会いのあった場所です。そんな土地で、この夏にもすばらしい出会いや学びをいただけたことにとっても感謝しています。

研修が終わってからも、複数の先生方と授業や単元の組み立てについて、振り返りについてなど、お話しに来てくださり、有り難い気持ちで帰りました :)

I have to know there are so many peers who learn so hard and think of student's learning together. It was a fantastic day in this summer.

TAKATA, Misato




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